美しく生きようとする邑「桂流コシヒカリのふる里」
伊豆市修善寺といえば「小京都」の呼び名で国内外の観光客を惹きつける温泉街。そんな賑わいの温泉場から西側約2km離れた場所に、修善寺川を挟んで美しい棚田が広がる中山間地域があります。(田んぼ29ヘクタール)紙谷・北又・湯舟・中里の4地域からなる「ふじのくに美しく品格のある邑『桂流コシヒカリのふる里』」で、山と川の恵みをたっぷりと受けた特別栽培米「桂流コシヒカリ」が栽培されています。
新米のシーズンから12月中旬まで、修善寺温泉街の代表格とされる「あさば」「柳生の庄」を含めた施設で『特別栽培米と味わう絶品わさび』というキャンペーンが実施されています。この『特別栽培米・桂流コシヒカリ』がどういったものなのか、というシンプルな思いで取材をしていくうちに、そこには、「農業に名を借りた地域づくり」という確かな想いが込められていることに辿り着きました。
今回、「農事組合法人グリーンファーム桂谷」の杉山健太郎さんにお話を聞かせていただきました(優しくてパッショネイトでおちゃめな方ですがちょっとシャイなのでお写真はないです)。杉山さんは、持続可能な邑づくりに向けて、農事組合法人立ち上げに一役買い、桂流コシヒカリのブランド化に向けて尽力された方です。
地域連携から生まれた特別栽培米
「農事組合法人グリーンファーム桂谷」という組織は、昭和55年に麦を栽培するために組織化された組合です。当時はお米の刈り取りが終わると麦の作付けが始まり、一枚の田んぼでお米と麦を作る二毛作でした。平成元年頃に、従来のお米の品種をコシヒカリに変え、コメの栽培を主目的に事業規模を拡大させ、平成23年に現在の法人組織となりました。現在、組合員数は106名ほどで、ライスセンター(販売部門)を事業所とし、苗づくりから田植え、刈り取り、脱穀、乾燥、販売という一連の作業を行なっています。任意組合から法人化することで、組合員(生産者)の雇用が守られ、耕作放棄地を生まない連帯責任も保持されているのです。
修善寺温泉旅館協同組合とは平成21年から連携し、特別栽培米※というできるだけ農薬を使わない安心・安全・美味しいお米を宿泊客に提供する活動をしています。修善寺に来てくれるお客様に美味しいお米を提供しよう、とうい思いから連携が始まりました。実際、「桂流コシヒカリ」は、食味検査で、スコア平均値84を出しており(一般的に、スコア70を超えると人は美味しいと感じるそうです)、有名ブランド米の数値に劣らない結果が出ています。グリーンファーム桂谷の、徹底した管理・指導体制により、生産者全体で高品質を確保しているのです。
※特別栽培米:地域の慣行レベル(各地域の慣行的に行われている節減対象農薬及び化学肥料の使用状況)に比べて、節減対象農薬の使用回数が50%以下、化学肥料の窒素成分量が50%以下、で栽培された農産物。農林水産省HPより。
杉山さんは、「お米は、地域で流れている水で炊くと美味しくなる」と言います。土地の土で育ち、土地の水で炊くとお米は美味しくなり、さらに、山の方で気温差があるところは旨味が出ると教えてくれました。杉山さんは、元々、自分なりに農薬を使わない作物をつくっていましたが、桂流コシヒカリというブランド米の確立を機に、特別栽培米を広めました。ブランド化して付加価値をつけていかないと売れないという現実的な思いと、特に、地域のこどもたちにも安心・安全なお米を食べさせたいというこだわりが実を結び、現在では地域内最高級品質と言われる地産地消のお米が出来上がったのです。
田んぼは自然のダム
おいしいお米をつくることだけが目的ではなく、「地域を守るために耕作放棄地をつくらない責任がある」と杉山さんは語ります。「昭和36年、達磨山に雨が降り、修善寺川が溢れて温泉街が流されたのを知っている。だから放棄地をつくってはいけない。田んぼは自然のダムであり、これは、上流地域に住む者の責任」だと力強く話してくれました。甚大な被害を及ぼした今年10月の台風19号で、桂流コシヒカリの里の棚田は、およそ500トンを保水していたそうです。大雨の際、田んぼがため池となり川の水量調整をし、水害を防ぐという機能があります。自然の恵みと災害は表裏一体。杉山さんは、田んぼを適切に管理して耕作放棄地をつくらないことが、この地域で農業に取り組む自分たちに課せられた役割だと考えています。上流地域にある田んぼを守ることが、そこに住む人を守ることだけに留まらず、下流地域にある温泉街を守ることにも繋がっているのです。
杉山さんとお話していると、「責任」という思いが強く伝わってきます。コミュニティを守る・自然を守る・未来を繋く、責任。そして、それらを理想論で終わらせることなく持続可能な方法でビジネス的に実行している姿が印象的でした。「よきことの連鎖」という言葉を杉山さんは使っていました。「どこかを軸として地域の業種が連携する。自分がやっていることは、農業に名を借りた地域づくりだ。なにかやるときはグリーンファームが軸となって既存の団体と連携して地域づくりを行っている」と。杉山さんの人望で、この里が守られているのが勝手ながら目に浮かびました。
美しい邑であるために
最後に、杉山さんは、民俗学者・柳田國男氏の、「美しい村などはじめからあったわけではない。そこに住む人が美しく住もうとつとめて、はじめて美しい村になるのである」という言葉を教えてくれました。正直、お話を聞いていて、桂流コシヒカリづくりは、黒字ビジネスではないと気づきました。単価の問題だけでなく、棚田の土手の景観を保つために年に4回以上行われる草刈りも、平面であれば労力もコストも減りますが、棚田であるがゆえの農業の地域格差。でも、赤字になってでも、皆に迷惑をかけられないというコミュニティ内の責任感が、耕作放棄地ゼロをつくりだし、田を守り、山も守り、人を守ることにつながっているようでした。美しい村/邑であり続けるための務め、想い、行動力がそこにはあります。「負けてたまるか消えてたまるか」という、いつかの新聞コラムの見出しが好きだと杉山さんは教えてくれました。
私たち消費者も、よく考えなければいけませんね。
地域で生産されるお米は、スーパーの商品よりほんの少し高いのかもしれない。売っている場所は、ほんの少し遠いのかもしれない。それでも、それらを買うことで確保される田んぼの保全が、観光・防災・地域のこどもたちの未来に繋がることを、一歩立ち止まって真剣に考える時が来ているのでは、と思います。それが、私たちができる、美しい邑づくりのひとつなのかもしれません。美しい邑づくりは、そこに住む人たちだけの努めでは、きっとないのです。